各校の100周年
2003年は聖学院神学校ができて100年、またディサイプルス教会が日本伝道を始めて120年という年にあたります。聖学院の歴史をひもといてみますと、1903年に聖学院神学校ができたのに続き1904年には学院教会(現・滝野川教会)、1905年に女子聖学院(神学部)、1906年に聖学院(中学校)が設立されています。このことから、夏の聖学院理事会合宿において発表された理事会ドクトリンの中で「学校法人100周年(ディサイプルス教会日本伝道120周年)を記念・祝賀して、学校法人全体の一大祝賀行事を企図し、組織委員会を発足せしめる」ことが公表されました。各校が百周年を迎える2003年から2006年の間、オール聖学院の百周年として協力して行事が行われることになります。
ディサイプルス宣教120周年
最初の年にあたる2003年は、10月31日に聖学院大学創立15周年記念と合わせてオール聖学院百周年記念の講演会が大宮ソニックシティ大ホールで開催されました。また11月30日(日)には聖学院大学8号館ガルストホールにてディサイプルス宣教120年を記念して『ふたりのウエストポインター』と題する講演会が聖学院、滝野川教会、小岩教会、埼大通り教会、緑聖教会の共催で開催されました。 ガルスト宣教師については、2003年2月に聖学院大学出版会から発行されたL.D.ガルスト著/小貫山信夫訳の『チャールズ・E・ガルスト』のなかで、当時宣教師たちがあまり踏み入ることもなく経済的にも大変厳しい状況の中にあった秋田・山形の地を宣教の地と選び、キリストの福音を伝えるとともに、重い税に苦しむ農民のために「単税論」を説き、生活の改善のための社会活動を行ったガルストの生涯が生き生きと紹介されています。
ガイ博士やバーサ・クローソン先生などのミッショナリたちが日本の将来のことを考え、必要なことを聖学院教育の中で実現しようとした情熱とともに、それに先立って、東北の地で生涯をかけて伝道と社会奉仕活動を行ったガルストらミッショナリの聖学院の源流としての再評価が始まっています。
百周年を出発として
現在、聖学院大学ではチャペルを中心とした新しい校舎群が完成しようとしていますし、女子聖学院でも百周年を記念して新校舎の計画が進んでいます。先に完成した聖学院中高の新校舎・講堂もあわせると百周年を契機に、聖学院の新しい姿が目に見える形で生まれようとしています。しかし、このような外面的な刷新に先行して、2000年から3年間にわたり、全教職員が「聖学院教育とは何か」を討議した内的な刷新としての「聖学院教育会議」があったことを忘れてはなりません。百年目の聖学院の決意として「聖学院教育憲章」が定められ、その中に私たちが果たしていくべき教育的使命が明確にされました。
このように百周年を出発として「聖学院から未来へ」という希望に満ちた新しい動きが始まっています。これまでのみなさまのご協力・ご支援に感謝を申し上げるとともに、今後の変わらないご支援をお願い申し上げます。
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『チャールズ・E・ガルスト』(L.D.ガルスト著/小貫山信夫訳)
創立当時の第1校舎(『女子聖学院50年史』より)
創建当時の本校舎(『聖学院80年史』より)
1904年新築の聖学院本館 (この中に神学校と滝野川教会があった。『滝野川教会75年史』より)
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