聖学院教育会議基調講演(10/23) (1)

  聖学院教育会議 基調講演 (2000/10/23)

「まず隗より始めよ――教育のゆくえ」


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学校法人聖学院 理事長・院長  大木英夫

 

I. 聖学院教育会議と教育改革国民会議

1. 政府はことし「教育改革国民会議」なるものを設置しました。聖学院の教育会議は、もっと早くから、今日の日本の教育の問題を重視し、三年前に聖学院の学長校長園長から成る学校長会で決定したものであります。政府の「教育改革国民会議」と「聖学院教育会議」とは、期せずして教育問題の取り組みにおける官と民との競合という形となっております。もちろんよいことは、どこからでも積極的にやってよいのであって、何も先だ後だと争う必要はありません。しかし、それはただ官と民の違いというだけでなく、思想が違う、また目指す目的が違うことが、明らかとなってきています。 二つの会議の違いは、一方は森首相の政治的意図をもって始められ、他方は一学校の教育的意志をもって始められたということであると思います。

2. 今年の七月中曾根康弘元首相の『二十一世紀日本の国家戦略』という本が出ました。聖学院大学の阿久戸副学長のすすめで最近読みました。驚いたことに、この本は、森首相が「教育基本法の抜本的改正」を言うその背後のプロンプターが実はこの人であることをよく示しているのであります。このような背後にあるものを一般に提示してくれたことは、一種の情報開示であり、国民にとってよいことだと思います。森内閣の動きは、この中曾根氏の思想において解釈できる、とくに教育に関する問題では、その背景がよく解釈できるのであります。

3. 中曾根氏は、1982年から1987年まで約五年政権の座にあった人で、五十五年体制における経済復興自民党政治のアンカーをつとめた政治家でありました。むかし、吉田茂は、自らを「臣茂」と称してデモクラシーをわきまえぬと批判されましたが、中曾根氏は公然と「おとど」(大臣)と自称する、心の底に古い意識を残した政治家であります。彼の首相時代に戦後経済復興はその頂点に達し、そして日本主義なるものが台頭してまいりました。吉田氏は、葉巻を口に英国風を真似て紳士的なところがあったが、中曾根氏の場合はいわば一所懸命の関東武士の総大将みたいなところがあって、別なタイプであります。この本で中曾根氏はみずからを「アロガントなスピリット」 と称しています。それはむかし参謀や上級将校に見られた精神のタイプであります。残念ながら英語の「アロガンス」にはよい意味はまったくありません。傲慢横柄で、罪を悔い改めることをしないという悪い意味に満ちているのであります。こういうアロガントな政治家を取り上げることは気が重いことですが、本日ここに開催される聖学院教育会議の性格や使命を明らかにするためには、避けがたいことであると思います。

4. 中曾根氏の根本問題は、1945年の出来事をどう認識するかにかかわっていると思います。この本の基調は、日本国憲法も教育基本法も「日本解体の一つの政策の所産」(『二十一世紀日本の国家戦略』p.197)であるときめつけたところにあります。まず中曾根氏の政治家としての特徴を、同時代の二人の外国の政治家と比較して、明らかにしてみたいと思います。第一は、ドイツの前大統領フォン・ワイツゼッカーとの対比であります。ワイツゼッカーは、戦争責任を深く反省し、その罪を謝罪することからドイツの将来を考え導いた政治家でした。ドイツはそれによって、国際的信頼をかち得たのであります。もう一人は、最近ノーベル平和賞を受賞した韓国の金大中大統領との対比であります。金氏は、デモクラシーや人権という普遍的価値をもって韓国の新しい形成を指導し、しばしば「アジア的価値」を強調することがおちいる落とし穴を知り、それを回避しようとする信念をもった政治家でした。中曾根氏には、これら両者にあるものがないのであります。それがこの本にもろに出ております。中曾根氏にあるものとは、デモクラシーや人権が日本国憲法や教育基本法に入ってきたことをもって「日本解体」の政策とみなす特異な見方、そしてそれが今日の日本の崩壊の原因であるとする思い込みであります。

5. 中曾根氏の思想の本質的なものは、この本の16ページ以下に記されている今年の五月の衆議院憲法調査会でのべた発言に出ています。それは教育基本法の改訂をもって国民運動を起こし、それによって凋落気味の自民党を再生させるという意図のものであります。それは国家戦略というよりは、自民党の戦略、党略でありましょう。「そのために教育改革国民会議を有効に使うのです」(p..187)とさえ言うのであります。こういう発想には教育者としては辟易しますが、政治家はそういう発想をするのでしょうか。しかし、思うにデモクラシーの社会では別様の政治もあり得るのではないでしょうか。この本を、或るテレビのタレント評論家(竹村健一氏)が絶賛し、よい本だとすすめていました。しかし、本当によい本かどうか、率直に言ってわたしには疑問であります。教育基本法が今日の教育荒廃の原因のひとつと言う判断は、明らかに誤った判断であります。なぜこういう判断に陥ったのでしょうか。中曾根氏には、ワイツゼッカーにおけるドイツの過去に対する反省に当る反省がなく、金大中におけるデモクラシーへの確信に当る確信がないからではないでしょうか。中曾根氏がそう判断するのは、教育基本法には、「民族、歴史、文化、伝統、家庭、つまり共同体の要素」がないからだというのであります。そしてその要素を取り入れない教育基本法をもって、アメリカによる「日本解体」策と見るのであります。

6. このような考え方は、世界にどう受け取られるでしょうか。世界の耳目は、中曾根氏の周辺の人びとの耳目とは異なるのであります。この情報化の時代に、日本で語られることを外国に隠しておくことはできないのであります。というのは、中曾根氏の日本主義的戦略は、第一次大戦後のドイツを「ドイツ的なもの」に訴えて復興をなし遂げようとしてヒトラーのドイツ的戦略を彷彿させるものがあるからであります。第一次大戦後のワイマール憲法は、デモクラシーの理念によってできた憲法でありました。しかし、当時それによってドイツが解体されると受け止められたのであります。なぜヒトラーが成功したか、そのころのロンドンの新聞にこういう記事がありました。ヘルマン・レヴィの『イギリスとドイツ』からの引用ですが、「ドイツ共和国は、さまざまの時代の最良のリベラルな原理のすべてを体現したワイマール憲法にもとづいて創設された。ドイツ国民にさらに進んだ社会的便益をもたらす目的をもって、これらの法を実行に移し拡充してゆこうとする意志を除いては、何ひとつ欠けたものはなかった」(『イギリスとドイツ』p.219)。このドイツの状態を、レヴィ自身こう評しております。「どんな憲法をもっていようと、ドイツの症状は、自身の注意、意志、および精神態度によって、病気を直そうとしない限り、病気はよくならない、と主治医に申し渡された患者のそれと変わらないままである」。ヒトラーは、「ドイツ文化」とか「民族と血の理念」とか「ドイツ国家」とか、古くから「ドイツ国民の心と魂の中に深く座をしめていた」ものを「説得とスローガンを利用し、反動派を酔わせ、無視され忘れられた人たちの虚栄心をくすぐって、こうした傾向をつくり出すこつを心得ていた」(同上p.218)、いやそれだけでなく、「ドイツ的なものが病める世界をいやさねばならない」というほどまでにドイツ人の魂を高揚させたのであります。それと類似の調子をわたしたちは戦争中の文書『国体の本義』に発見して驚くのでありますが、もっと驚くことは、それがいまどき、中曾根氏の本の中に見いだされることであります。

7. なぜ日本はこのような閉塞状態、崩壊状態に陥ったのでしょうか。第一次大戦後ドイツにその「意志」がなかったけれども、第二次大戦後、自民党にも教育基本法をもって新しい日本を形成しようとする政治的「意志」がなかった、その結果ではないでしょうか。最近政府が教育基本法の改訂をめぐって極めて熱心に働いておりますが、それほどの熱心を戦後の自民党政府の教育行政にはなかったのであります。その結果がこの教育荒廃なのであります。あるものは「教育改革国民会議」を利用してまで、教育基本法を改訂しようという逆噴射的意志であります。

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